英語なんてブロークンでも通じればいいんじゃない?

英語の神様という本を読んだ。Kindleアンリミテッド対象になっていたし、英語にも興味があったため早速ダウンロード。自己啓発書の類だろうけど、物語形式になっていてストーリーもなかなか面白ったがなにより特に日本人の英語学習に大切なことがちりばめられていたので大いにためになった。中でも1番印象に残ったのが英語と一口でいうが、世の中にはたくさんの英語があり、ノンネイティヴの英語の方が圧倒的に多いということ。登場する中華系シンガポール人は英語を話すがいわゆるシングリッシュと呼ばれるシンガポール英語を話す。ネイティヴの英語が聞き取れないのは当たり前ということ。

ノンネイティヴの私たちが英語を話すということは多少の開き直りも必要なのだ。言語の難易は絶対的なものではなく話者の母語と学習言語の言語的距離がどれくらい離れているかによる。では日本語と英語はどうか。それらは言語的距離も考え方も全く異なる。真逆といってもいい。日本語は多くの外来語としての英語を取り込んでいるが、それを除けば、言語的文法的共通点はほとんどない。だから日本人が英語を話せないのは当たり前なのだ。

世の中にはノンネイティヴの英語が溢れていることと今言ったことを踏まえるとノンネイティヴの英語話者としてブロークンでもいいからどんどん話していけばいいのだと思う。そこにはある種の割り切り、いや開き直りが必要なのではないか。私は台湾人の友人がおり、たまに台湾に遊びに行ったりする。友人とは英語で会話をしている。お互いに文法的には間違いだらけであると思うが、言いたいことはほぼ伝わる。三単現のsが落ちたところで、仮定法の節の時制が間違っていても、全然問題ない。そもそもネイティヴの英語話者でないから、ネイティヴが感じるであろう違和感すらないのだ。私はネイティヴの英語を聞き取ることは苦手だが、ノンネイティヴとの会話は問題ないことが多い。

それともう一つ。今回取り上げた本にも書かれているが、どうしても話さないとやばい状況に置かれればなんとか話そうとするのが人間である。日本語が全く通じない状況下に置かれると、生存本能が発動し、言語だけでなく、五感すべてを使って相手の言わんとしていることを読み取る能力が向上する。

数の論理でいうなら、ノンネイティヴの話者の方が多いのだから、しかも個々の母語がありながら、デファクトとなっている英語を使ってあげているのだから、ネイティヴの話者がそれを理解しようとする番だと思うのだ。だから我々は気を使うことなく日本人英語を堂々と使っていけばいいのだ。