機械翻訳が普及したら。

近頃の機械翻訳は昔に比べ結構精度が上がり簡単な文なら、割ときちんとした文にしてくれるようになりました。こういう技術が進むと、機械が全部やってくれるのだからもう外国語、特に英語は勉強する必要がないという論調が出てきます。しかし、それには私は反対です。もちろんまだまだ人が作るような文章には程遠いと言ったこともありますが、理由は別のところにあります。

外国語を学ぶことは自分の持っている価値判断をもう1つ待つことになります。文化的なものもありますし、言語は人の思考の根幹を成すものです。視点が2つ以上あるということは思考の進めるにあたって非常に有益です。私は日本語と英語と中国語が少しできますが、日本語だけで生きていた頃より発想が豊かになりました。これは英語で情報を入れるといった表層的なものに留まらず、日本語では考えもつかなかったアイデアが出たりするのです。

どうしても解決できなかったことが、別の思考を手に入れることにより、意外とあっさり解決することは結構あります。

つまり外国語を、学ぶことにより、人生の幅を広げることができ、それが外国語を学ぶ意義だと思うのです。

中国語の勉強を始めました。

試験が終わって少し時間ができたので、最近中国語の勉強を始めました。個人的には私は台湾推しなので(中国は一回も行ったことがありません)、台湾華語を学びたいところなんですが、いかんせん日本では大陸の普通話が一般的。テキストも圧倒的に大陸中国語のが多いです。台湾華語のテキストも最近ちらほら出始めているけど、やはり語学はテキストとの相性もありますから、なるべく幅広い選択肢から選びたいものです。また学習に対するペースメーカーやアウトプットも設定したかったのでHSKを受けようかなと思っています。台湾にもTOCFLという繁体字での試験があるんだけど、年二回しかやっておらず、除外。台湾人の友達にも聞いたら簡体字も読めるし、普通話と台湾華語は言い回しとか若干違うけど、ほぼ同じで理解できるそうです。

そんなわけで普通話の勉強を始めました。単語帳をぱらぱらめくってみると、漢字の国の言葉だけあって、同じ単語もかなりある。英語なんかと比べるとやはり覚えやすい。違う言い回しの物もあるけど漢字の組み合わせなので、意味が類推できるし、大体合っている。中国語では荷物のことを行李と言う。日本語ではもうほとんど使われていないけど、今の70代以上の人は行李こうりで通じるんじゃないか。そんな昔の言い方が生き残っていたりして面白い。

陸中国語は簡体字です。識字率を上げるためにかなり簡略化した漢字を使っています。日本も戦後多少簡略化はしましたが、中国はもっと徹底しています。豊島区の豊がなぜ丰なのかと不思議に思いましたが、簡略化する前の形繁体字では、豐なんですよ。その上のパーツだけ引っ張り出してきて文字にした。結構思い切っています。日本の漢字はどちらかと言うと繁体字に近いかな。

中国の漢字はかなりバッサリと簡略化したため、日本人の私から見て結構意味不明なものも結構あって丸暗記が苦手な私は覚えるのが大変。漢字は意味がわかるのが良さであるのに、中には意味はバッサリと切り捨て、漢字の音だけで旁を構成しているものも多数。そんな時便利なのが簡体字繁体字の変換ソフト。漢字でスカスカな字体になっているものは大抵繁体字がありますので変換する。繁体字になると意味がわかるものが多いです。日本人も昔はこれを使っていたわけだし、今の漢字の元になったものだから、意味がわかるものが多いです。両方の字体を覚えるのは非効率かもしれませんが、納得できないと頭に入らない私にはこのやり方が良いようです。

今のところ読み書き中心です。発音は気が遠くなるのでまだ取り組んでいません。HSK3級位の問題は解けますね。これは日本人ならではのアドバンテージだと思います。

そんなこんなで、ゆっくりと取り組んで行きたいと思います。また何か気づいたことがあったら書きます。

英語と日本語

英語は論理的で日本語は曖昧とよく言われますが、言葉の仕組みなどを考えるとそんなことはないのではと思っています。

日本語は表記が難しかったり、似ている言葉があまりないので日本語はとらえどころがないように、外国人から思われているようですが(もしかしたら日本人自身にも)

日本語は文法自体は非常に規則的で英語のような不規則活用動詞はたった2つしかありません。また外来語を取り込むのも非常に長けている言語ですが、その外来語でさえ、日本語のルールをしっかり適用し日本語として取り込んでしまいます。一方英語は不規則動詞はあるわ、同じ形が名詞として使われたり、動詞として使われたり、よく言えば文脈に応じてフレキシブルですが、節操がないとも言えます。また形容詞を作る接辞と副詞を作る接辞が全く同じだったり。もう訳がわかりません。全て文脈で構造的に判断しろということでしょうが、ちょっと不親切ではないかと思います。

日本語は膠着語なので、名詞に助詞がくっつき、文の中でどのような役割をしているのか表示するマーカーが御丁寧についているのです。これもわかりやすい。助詞があるから、語順が厳格に決まっていません。曖昧に思われるかもしれませんが、規則がしっかりしているからこそ、自由度が高いのです。

日本語が曖昧と言われるのは、文法的なことではなくモダリティ表現が豊富だからではないかと思います。高文脈文化の日本語と日本人だから、曖昧に見られるのかもしれません。

メディアとの距離の取り方

震災以来日本のテレビと新聞は殆ど見なくなりました。本当に大切なことは隠蔽されるからです。問題があってもなかったことにされ報道せず、本当にどうしようもなくなってから、千年に一度の。とか想定外の。とのたまう始末。

日本のメディアはあまりあてになるものじゃないなと思い、日本のテレビや新聞からは距離を置いています。日本はもはや自浄能力は失っていると思うので、外圧でしか変わらないでしょう。日本の中から見る日本という視点では正しい情報が伝わってこないと思っているので、情報は英語ベースで入れています。英語なら何でも良いかというと決してそんなことはなく、多様なソースから多面的に仕入れるべきだと思っています。あと地理的な要因も。私は個人的にイギリスが好きなのでBBCを見ることが多いですが、英語が大してできない私には難しさを感じる場面もある。またヨーロッパの端に位置するため、あまり日本や東アジアのニュースは取り上げられない。目的は日本とその周辺のニュースを外部から見た視点で入手したいので、欧州のニュースは今ひとつ。ですから今はアジアの英語圏シンガポールと香港のニュースを見るようにしています。ノンネイティヴの人も読むことを想定しているのか、英国のニュースより読みやすい。

とはいえ、どのメディアも一長一短ありますので、鵜呑みにせず自分の頭で考える習慣をつけたいものです。

日本の新聞の英字版はやめといたほうがいいと思います(笑)

歌詞翻訳について。

昨日、ふとラジオをつけていたら、映画「君の名は」の「なんでもないや」が流れてて、心揺さぶられた。映画を思い出したよ。

私は職業柄、でもないけど、つい各国語の歌詞はどうなってるのか調べたくなるのだが、

まず、英語版。これニュアンスが違うんだよな。意味は伝わるんだけど、表面的というか、感情のうねりみたいなものはあまり感じられなかった。

中国語版。漢字で表現しているので、英語版よりはニュアンスが日本語に近い。けど語順がどうしても違うので、同じように歌うのは難しいだろうな。

韓国語版。これが一番オリジナルに近い。語順も同じだし、助詞も日本語とほぼ同じところに置かれる。終助詞もあるため、語感も最も近い。ブレスを入れるところ、つまり文節の切れ目も同じ。

韓国語の品詞の活用は詳しく知らないけど、多分単語を単純に置き換えるだけで翻訳が完成すると思う。

 

翻訳はそれぞれの国の文学や芸術を知るには、素晴らしい技術だと思うが、微妙なニュアンスを伝えるといった点では、限界もあるんだろうと思った。

少なくとも日本語から英語にする過程で、何か大切なものが抜け落ちてしまう気がするのです。英語で表現できないというか。こう思うのは国粋主義的でしょうか(笑)英語話者から見ると日本語に翻訳されるとニュアンスが変わってしまうと思っているかもしれない。

舊漢字について。

台湾人とメールやラインでやりとりしていると、旧字体の勉強になって面白い。いつも使っている漢字の古い形を向こうは使っているので、ああ、この漢字は昔はこう書いていたんだなとわかる。舊は旧です。日本漢字は大陸の簡体字よりは繁體字に近いので読みやすいと思う。ただ、向こうの小学生はいきなり画数のやたら多い漢字をやるわけだから大変だ。まぁ、日本も漢字の他に覚える文字があるのだけど。

繁体字は日本の旧字体とほぼ同じなので、漢和辞典にちゃんと載っています。簡体字は大陸独自なので載っていません。

中国語の文章を読んでいて、見たことない漢字に出会うことも多いけど、大抵、漢和辞典には載っています。

しかもちゃんと訓読みも設定されている。

昔の人は偉い。テクノロジーがない時代でも、日中でちゃんと互換性があるプラットフォームを作ったんだな。

頑張る?

私は頑張るといった言葉が今ひとつ好きになれないのです。今回は日本の大問題点である労務問題に関連したことです。

言葉自体は別に悪くないと思うのですが、問題点は、どのように、どれくらい、頑張ればいいのか明確になっていないところにあります。つまり、特に上層部が何も考えていなくても、ノープランでも頑張るは使えてしまうからタチが悪いのです。何も考えずに使えてしまうということは、精神論に繋がりやすいということ。どれだけ成果をあげたところで、「頑張りが足りない」と言われてしまえば、何も反論できません。なぜなら頑張るといった言葉の意味に実体などないからです。実体のないものに何をいっても無駄です。過労死などずっと日本の問題になっていることはこの頑張るといった「便利な」言葉の悪用が原因の1つではないかと私は思っているのです。

頑張るは日本語の美点である、婉曲表現の1つになっていると思いますが、曲がり間違うと、何も中身がないということから、逆に「なんでもあり」の方向に変わってしまうこともよくあるから、要注意。頑張るという言葉はブラック企業の合言葉にもなっていることからこの言葉の危険性がわかるでしょう。

ちなみに英語には頑張るといった言葉はありません。無理やり訳すならdo the best 最善を尽くします。という意味になります。つまりどう頑張るかが日本語よりは明確です。頑張るといった日本語の亡霊のような言葉に付き合う必要はないのです。なぜなら、何もいっていないのと同じなのですから。