メディアとの距離の取り方

震災以来日本のテレビと新聞は殆ど見なくなりました。本当に大切なことは隠蔽されるからです。問題があってもなかったことにされ報道せず、本当にどうしようもなくなってから、千年に一度の。とか想定外の。とのたまう始末。

日本のメディアはあまりあてになるものじゃないなと思い、日本のテレビや新聞からは距離を置いています。日本はもはや自浄能力は失っていると思うので、外圧でしか変わらないでしょう。日本の中から見る日本という視点では正しい情報が伝わってこないと思っているので、情報は英語ベースで入れています。英語なら何でも良いかというと決してそんなことはなく、多様なソースから多面的に仕入れるべきだと思っています。あと地理的な要因も。私は個人的にイギリスが好きなのでBBCを見ることが多いですが、英語が大してできない私には難しさを感じる場面もある。またヨーロッパの端に位置するため、あまり日本や東アジアのニュースは取り上げられない。目的は日本とその周辺のニュースを外部から見た視点で入手したいので、欧州のニュースは今ひとつ。ですから今はアジアの英語圏シンガポールと香港のニュースを見るようにしています。ノンネイティヴの人も読むことを想定しているのか、英国のニュースより読みやすい。

とはいえ、どのメディアも一長一短ありますので、鵜呑みにせず自分の頭で考える習慣をつけたいものです。

日本の新聞の英字版はやめといたほうがいいと思います(笑)

歌詞翻訳について。

昨日、ふとラジオをつけていたら、映画「君の名は」の「なんでもないや」が流れてて、心揺さぶられた。映画を思い出したよ。

私は職業柄、でもないけど、つい各国語の歌詞はどうなってるのか調べたくなるのだが、

まず、英語版。これニュアンスが違うんだよな。意味は伝わるんだけど、表面的というか、感情のうねりみたいなものはあまり感じられなかった。

中国語版。漢字で表現しているので、英語版よりはニュアンスが日本語に近い。けど語順がどうしても違うので、同じように歌うのは難しいだろうな。

韓国語版。これが一番オリジナルに近い。語順も同じだし、助詞も日本語とほぼ同じところに置かれる。終助詞もあるため、語感も最も近い。ブレスを入れるところ、つまり文節の切れ目も同じ。

韓国語の品詞の活用は詳しく知らないけど、多分単語を単純に置き換えるだけで翻訳が完成すると思う。

 

翻訳はそれぞれの国の文学や芸術を知るには、素晴らしい技術だと思うが、微妙なニュアンスを伝えるといった点では、限界もあるんだろうと思った。

少なくとも日本語から英語にする過程で、何か大切なものが抜け落ちてしまう気がするのです。英語で表現できないというか。こう思うのは国粋主義的でしょうか(笑)英語話者から見ると日本語に翻訳されるとニュアンスが変わってしまうと思っているかもしれない。

舊漢字について。

台湾人とメールやラインでやりとりしていると、旧字体の勉強になって面白い。いつも使っている漢字の古い形を向こうは使っているので、ああ、この漢字は昔はこう書いていたんだなとわかる。舊は旧です。日本漢字は大陸の簡体字よりは繁體字に近いので読みやすいと思う。ただ、向こうの小学生はいきなり画数のやたら多い漢字をやるわけだから大変だ。まぁ、日本も漢字の他に覚える文字があるのだけど。

繁体字は日本の旧字体とほぼ同じなので、漢和辞典にちゃんと載っています。簡体字は大陸独自なので載っていません。

中国語の文章を読んでいて、見たことない漢字に出会うことも多いけど、大抵、漢和辞典には載っています。

しかもちゃんと訓読みも設定されている。

昔の人は偉い。テクノロジーがない時代でも、日中でちゃんと互換性があるプラットフォームを作ったんだな。

頑張る?

私は頑張るといった言葉が今ひとつ好きになれないのです。今回は日本の大問題点である労務問題に関連したことです。

言葉自体は別に悪くないと思うのですが、問題点は、どのように、どれくらい、頑張ればいいのか明確になっていないところにあります。つまり、特に上層部が何も考えていなくても、ノープランでも頑張るは使えてしまうからタチが悪いのです。何も考えずに使えてしまうということは、精神論に繋がりやすいということ。どれだけ成果をあげたところで、「頑張りが足りない」と言われてしまえば、何も反論できません。なぜなら頑張るといった言葉の意味に実体などないからです。実体のないものに何をいっても無駄です。過労死などずっと日本の問題になっていることはこの頑張るといった「便利な」言葉の悪用が原因の1つではないかと私は思っているのです。

頑張るは日本語の美点である、婉曲表現の1つになっていると思いますが、曲がり間違うと、何も中身がないということから、逆に「なんでもあり」の方向に変わってしまうこともよくあるから、要注意。頑張るという言葉はブラック企業の合言葉にもなっていることからこの言葉の危険性がわかるでしょう。

ちなみに英語には頑張るといった言葉はありません。無理やり訳すならdo the best 最善を尽くします。という意味になります。つまりどう頑張るかが日本語よりは明確です。頑張るといった日本語の亡霊のような言葉に付き合う必要はないのです。なぜなら、何もいっていないのと同じなのですから。

最近のゲームについて

私も、子供の頃RPGを、それなりにやりました。特にファイナルファンタジーが好きでよくやっていて中でも植松伸夫の音楽が好きでした。大人になってからは忙しくなりゲームはやらなくなりました。最近スーパーファミコンミニが出たそうで、私はちょうどスーファミ世代ですので当時を懐かしんでおります。そこでふと思ったのですが最近のゲームには魅力を感じることがなくなったと思います。これは私が大人になったからということと、多分に思い出補正が昔のゲームにかかっていることもあると思いますが。

その原因は、技術が進んだことにより、精細に描き過ぎてしまい、こちら側の想像と創造の余地が残されていないことだと思っています。大好きな小説がドラマや映画化されると幻滅することが多いように。つまりみんなゲームや小説の主人公などに自分の重ね合わせており、それで心が動くのだと思います。現代のゲームは細かく描き過ぎてしまうことで、かえってゲームとプレイヤーを、結ぶ身体性を失っているのだと思います。

 

何事も柔軟に。

日本は言論の自由が実質無かったり、問題がある国だと思います、かといって外国に行けば全て解決するといったことでもなさそうです。
ですから、これからは1つのところに全ての基盤を置かないことが大切だと思いますよ。ホンダジェットも日本の技術をアメリカで展開したから成功したんだと思います。

持たない生活

今日、自宅の本の3分の2を処分しました。明日は電子ピアノを買い取ってもらいます。

これは家が狭いといった理由ももちろんありますが様々雑多なものにまみれて暮らしていると、雑念が発生し、勘が鈍ります。整理していてわかったのですが、数あまたの本を所蔵していましたが、再読したいと思った本は半分以下でした。その時は必要だと思い買ったのですが、その後ほとんど読まず、私の生活を圧迫し続けていました。これは個人的に思っていることですが、あまりに多くのものと暮らしていると管理がしきれなくなり、知らず知らずのうちに精神的に疲弊してしまうのです。もともと管理能力が高いとは言えない私なので、所持するものはできるだけ少なくすることで少しでも生活を楽にしようと考えたのです。戦後の高度成長でものを所有することが良いことと言われましたが、これからはいかに所有を減らしていくかが生活のトレンドになっていくと思います。ピアノも同様です。新卒のボーナスで買ったピアノでしたが、激務で弾く時間も無く、数えるほどしか弾きませんでした。けれどピアノはずっとあり続け引越しの時の大型荷物で追加料金がずっとかかっていたのです。弾いてもらう人のところに行った方がお互いのために良いということで手放すことにしました。いざ部屋がすっきりすると、気分がとてもいいのです、ミニマリストの方々に比べると、私は冷蔵庫も本棚も電子レンジもテレビもアイロンも自転車も洗濯機も所有していますので、徹底していませんが、それでも手放すとなぜだか逆に豊かな気持ちになるのです。理想はホテルの部屋です。あと多いと思っているのは洋服です。これも取捨選択して処分できるものは処分していきたいと思っています。こういう物を持たない生活ができるのもデジタル技術が発達したおかげです。パソコンもそういう傾向で、データをハードディスクに溜め込むのでは無く、クラウドに保存し必要に応じてアクセスするといったところが今のトレンドに合っていると思います。これだけ蔵書を減らせたのもamazonKindleを導入していたからというのもあります。Kindleには400冊の本が入っています。残した本は仕事で必要な語学系参考書や技術書がほとんど。これらは電子化されていないといったこともありますがパラパラっとめくり参照するような使い方、また書き込みもしたいので電子書籍向きではないので、紙の本で残しました。

物を持たないと掃除が楽、管理が楽、引越しが楽、

そして何より精神的に満ちるのです。