資格試験の勉強について

資格合格を目指して試験勉強している人はたくさんいると思います。その過程において過去問を解くということは欠かせません。

その過去問ですが2通りの使い方ができると思っています。それは分析と演習という観点で分けられると思います。まずは問題を解析して、不明点はしっかりと調べ自分の中の知識を確固たるものにする段階です。

次の段階としては演習です。問題を解く能力をつけるということです。試験は通常は時間制限がありますから、前者のようなじっくり問題を分析していてはとても間に合いません。ですから、じっくりと問題に向き合うといった観点とは別のアプローチが必要なのです。そのために必要なのが今まで積み上げてきた知識を一旦忘れるのです。逆説的ですが効果があります。もちろんそれ以前にしっかりとした積み上げをしていることが前提です。一旦忘れたら、あとはひたすら問題をたくさんこなすことです。その中で瞬発力や洞察力を磨くのです。

恐ろしいことですが、あまりにインプットの量が多いと、判断力や洞察力が鈍ることがあるのです。頭の中に情報が多すぎると、類推の力は落ちます。これが本当に難しいところで、本気でガリガリ勉強した人が落ちて、ほどほどの人の方が受かったなんてことが起きるのです。

ですから、分析力、瞬発力と洞察力とは能力が異なるので、別に訓練する必要があるということです。

その両輪がうまく回ることで良いパフォーマンスを発揮することができると思います。

 

 

 

日本語話者と英語話者の話し方の違いについて

日本では躾として人の話は最後までちゃんと聞きましょうと、よく言われます。相手が話している側から話したり話を遮ったりするのは失礼に当たります。一方英語話者、多数のヨーロッパ言語系の話者は相手が話している側から話し出すことがよくあります。これはもちろん民族の性格の違いもあると思われますが、一番の要因は言語の構造上の違いによるものと考えます。

日本語は述語が最後に配置され、更に肯定なのか否定なのかも後ろに来るため最後まで聞かないと実際に何が言いたいのかがわかりません。だから最後まで聞きましょうという話になるのでしょう。

一方英語をはじめとするヨーロッパ諸語はSVOなので、最初に主張を言ってしまい、後から説明が追いかけて来るスタイルを取っています。

ですから英語話者にとっては最初に重要なところが話されるので、最後まで聞かなくても大体わかるということなのです。従って、相手の話を遮って話したりすることがあるのでしょう。余談ですが英米の学生は授業で質問をたくさんするというのは有名ですが、人によると、挙手をしてから質問内容を考えるきらいもあるというのです。これもやはり質問をするぞ!ということだけ決めておいて、内容は後から考えるという、主張先、内容後の言語特性の影響もあるのではないかと思っています。

アップル。。

WWDC17をみましたがなんか特にめぼしいものはなかったな。ジョブズがいなくなってから、プレゼンが普通のおじさんたちの技術発表会になってしまった。スペック云々よりもワクワクできるかどうかがアップルらしさなのにそれがない。劇場型のプレゼンが楽しかったのにそれもない。私はアップル製品を多数持っているが、ジョブズ人間性や心意気を買っていたのであって、スペックを買っていたのではない。アップルはしばらくは遺産で食べていけるだろうが、もっとぶっ飛んだ人がトップにならないとソニーみたいになると思う。ここまで組織が大きくなると、理念が散漫になる。90年代当時アップルで商品のラインナップが増えすぎていたものをジョブズが整理し、コンシューマーとプロユース、ノートとデスクトップとした。
それなのにimacpro
破綻してるでしょ。。本来コンシューマー向けのimacでプロユース?
これだけでも迷走してるのがよくわかる。アップルはアップルコンピューターに戻りつつある。つまりコンピューター屋にということです。そもそもコンピューティングのその先へ、思いもしなかったライフスタイルの想像と提案する企業ということで社名のコンピューターは取ってアップルにしたのではなかったか。それとimacpro ですが、ものすごいハイパフォーマンスなマシンなのはわかったけど、他は特筆すべきところがない。
みなさんのご希望により作りました。と書いてあったが、期待通りの物を想定して作るということは期待以上の物は出てこないことになる。牛丼特盛出します!と一緒。大食いが喜ぶだけです。

私はWindowsよりはマシと思っているからmacを使っている。今は積極的理由で使っているわけじゃない。

アップルのトップは芸術家に任せるべき。こうなったのも会社が大きくなり収集がつかなくなった。ソニーがそうだったように。

英語多読について。

語学学習には多読がいいと言われています。

多読をするにあたり辞書を引くか引かないかで意見が分かれると思います。

私は英語力が高いわけでないが、読書中はほとんど引かない。

その理由は2つあり、単純に時間がかかり文の流れに乗れないから。もう1つは文脈から類推するスキルを高めるため。

文章を読んでいる段階では辞書を引かず文脈や文型から意味を類推する。読後辞書を引き意味を調べ、自分の類推した意味と辞書の意味との間の乖離を見る。

重要なのはすぐに意味を調べるのではなく、つまり答えを見るのではなく、自分の持っている知識、(日本語の知識も含めて全部)を総動員して予想し、答え合わせをしてみるのだ。

この作業に慣れ、経験が蓄積してくると、予想した意味と辞書を引いて出た意味の乖離が小さくなってくる。より辞書を引かなくても読めるようになってくる。

多読のキーとなるのが類推であるが、それをよりやりやすくなるために1つ補足がある。それは自分の興味がある分野や専門分野の書籍を読むこと。そうすることでより類推の負荷が減ってよりたくさん読めるようになる。私は専門分野や趣味の内容の英文は読みやすく感じるが、専門外や予備知識がない、または興味がない分野の英文は本当に読めない。

多読は楽しく続けるのが1番いい。

 

英語なんてブロークンでも通じればいいんじゃない?

英語の神様という本を読んだ。Kindleアンリミテッド対象になっていたし、英語にも興味があったため早速ダウンロード。自己啓発書の類だろうけど、物語形式になっていてストーリーもなかなか面白ったがなにより特に日本人の英語学習に大切なことがちりばめられていたので大いにためになった。中でも1番印象に残ったのが英語と一口でいうが、世の中にはたくさんの英語があり、ノンネイティヴの英語の方が圧倒的に多いということ。登場する中華系シンガポール人は英語を話すがいわゆるシングリッシュと呼ばれるシンガポール英語を話す。ネイティヴの英語が聞き取れないのは当たり前ということ。

ノンネイティヴの私たちが英語を話すということは多少の開き直りも必要なのだ。言語の難易は絶対的なものではなく話者の母語と学習言語の言語的距離がどれくらい離れているかによる。では日本語と英語はどうか。それらは言語的距離も考え方も全く異なる。真逆といってもいい。日本語は多くの外来語としての英語を取り込んでいるが、それを除けば、言語的文法的共通点はほとんどない。だから日本人が英語を話せないのは当たり前なのだ。

世の中にはノンネイティヴの英語が溢れていることと今言ったことを踏まえるとノンネイティヴの英語話者としてブロークンでもいいからどんどん話していけばいいのだと思う。そこにはある種の割り切り、いや開き直りが必要なのではないか。私は台湾人の友人がおり、たまに台湾に遊びに行ったりする。友人とは英語で会話をしている。お互いに文法的には間違いだらけであると思うが、言いたいことはほぼ伝わる。三単現のsが落ちたところで、仮定法の節の時制が間違っていても、全然問題ない。そもそもネイティヴの英語話者でないから、ネイティヴが感じるであろう違和感すらないのだ。私はネイティヴの英語を聞き取ることは苦手だが、ノンネイティヴとの会話は問題ないことが多い。

それともう一つ。今回取り上げた本にも書かれているが、どうしても話さないとやばい状況に置かれればなんとか話そうとするのが人間である。日本語が全く通じない状況下に置かれると、生存本能が発動し、言語だけでなく、五感すべてを使って相手の言わんとしていることを読み取る能力が向上する。

数の論理でいうなら、ノンネイティヴの話者の方が多いのだから、しかも個々の母語がありながら、デファクトとなっている英語を使ってあげているのだから、ネイティヴの話者がそれを理解しようとする番だと思うのだ。だから我々は気を使うことなく日本人英語を堂々と使っていけばいいのだ。

 

学習とは

仕事も勉強も何事も楽しんでやることです。何事も慣れというものがあるので、ある程度の継続も必要だとは思いますが、どうしても楽しんでやれないことなら、はっきり言って辞めるべきだと思います。そのための準備はしっかりとしてからということは言うまでもないですが。

興味がないことを嫌々やるのは学習効率から言っても良くないし、私は耐えられなかったのです。
学習意欲を一番刺激するのが興味である。興味とは人それぞれ千差万別違うものなので、教育者は学習者が何に興味を持つかと言ったことに焦点を当てるべき。画一的な教育というのは無駄が多いと思うし、この点で学校教育というものの限界なのだと思います。興味があったら自分で調べるでしょう。自分で調べて、それでもわからなければ自発的に聞くでしょうし。いろいろな学問への道を提示すると言った点では現在の教育に対しては否定はしませんが、その後何を興味を持つかまでは教育の範疇ではないと感じています。自分で好きなようにやるから。

これからの販売員はどうすればいいの

長いこと販売職で働いてきて、思うところがあったので書きます。販売職は多分先祖返りすると思います。それは現在のセルフ販売から対面販売へ戻る。大量生産大量生産を背景にして大量消費が必要となり、デパートやスーパーができた。これらはいかに大量の商品を捌くかといったことに特化したシステムだ。しかし社会が成熟しものを必要としない社会においては、そぐわない。これからは販売員を介していかにその商品によりライフスタイルがより良いものになるかを提案するような提案型販売、もっというならコミュニケーター的な役割を担うだろう。新興国ならまだしももの余りであるこれからの日本で販売をやろうと思ったらこの方向に進んでいくしかないと思う。生体情報を駆使する広告による販売促進はこの限りではないが。