学びに関して

何かを学ぶとき、何かしらのリソースを活用することがほとんどだろう。まず最初にすべきことは全体像を把握することだと思う。そのためにノート作りやサマリーを作りはよくなされることだ。ただそれに集中しすぎるのはよくない。いわゆる大抵はA→A’になることは避けられない。つまり劣化コピーになる。これは知の巨人に初学者が挑戦するのだから仕方のないことだ。だから、まとめもほどほどにするのがよい。思考の軌跡を残すという意味では有用だと思う。私はそのようにサマリーは活用している。
そして当たる本はなるべく古典やオリジナルのもの、一読してわからないような本に挑むのが一番だと思う。

敬語は必要だとは思うが。

学校で敬語の授業や練習などがあるが、敬語を使う相手に教師が入っているのは解せない。
立場上教える側と教わる側があるだけなのに、偉いと思っている教員が多すぎる。ほんと頭悪いと思う。
だから学生にはわたしには使わなくてもいい。でも他の先生は気にする人が多いから使いなさい。
さらにその人が尊敬できるなら使う、できないなら使わないと非公式に言っている。
こんなこと言ったら袋叩きにあうのは必至だから。

どうしてそうなんだろう。

私は日本人が苦手。空気を読むことを大切にしている日本社会は生きにくい。空気が読めないのか、無意識に人を怒らせていることが多い。人との距離の取り方もわからない。行動も衝動的で、両極端。
なんとかしないといけないのはわかるが、どうしたら良いのかもわからない。

私は集団行動が苦手だ。授業が始まってしまえば、個人プレーの割合が増えるので、幾分楽になる。
しかも周りは外国人になるので、気が楽。

 

ムーミンパーク

先月オープンした、飯能市ムーミンバレーだが、一回は行ってみようと思っている。ただ、ディズニーのようにお金はかけられないだろうから、「装置産業」としてのコンセプトで運営されるなら、早晩行き詰まると思う。ハード面で勝負する時代は既に終わっている。それ以外の部分でリピーターを獲得できるか。
一度オープン前に先行開業したメッツアには行ったが、北欧コンセプトのテーマパークとして致命的なのは、温帯をイメージさせる。広葉樹ばかりなのだ。冷涼なイメージの針葉樹の森では無い。これでは北欧を感じるどころか、トトロの森を中途半端にモディファイした、どちらにも属さない中途半端なものになっていることだ。目立つところには針葉樹を植えた方がいいと思うが、うまく育つかどうか。身もふたもないことを言うが、〜風といったコンセプトはもはや古い。移動コストは昔に比べて低くなった。だから、本物を見にいった方が得るものは多いだろう。
ともかく、ハード以外で何で勝負するのか考えた方がいいと思う。

読書、それから。

私は本が好きだ。なぜなら本だけは私を裏切らないからだ。
ただ、全ての本というわけではなくて、選ぶ時点でフィルターがかかっているはずなので、結局は本は自分の化身であり、自分の信じたいものだけを見ていたということになる。私は自分のことしか考えていないのだろう。
それでも生身の人間と話がしたい。
人嫌いのくせに。

好いた惚れたは相対的なものである。

恋愛は相手ありきのこと。

同じ行為でも、人によってはキュンキュンするし、かたや人によってはストーカーになる。

となるとある程度は、既に勝負は決まっている。だから縁なのだと思う。

人間関係、兎角恋愛は人の力ではどうにもならないものが多い。

自分を好きになってくれない人は、どんなに頑張っても好きに傾くことはない。

好きになってくれる人を探した方がいい。ただ、そんな人は100人に一人いるかいないか。おまけに見つけようとすると途端に見えなくなるから曲者。

逆説的だが恋愛は諦めてしまった方が、むしろ引き寄せるのだと思う。

評価に理由などない。

会社が下す人の評価なんて、特に日本の場合は好き嫌いやその時の気分で決まることが往々にしてある。だからその評価に一喜一憂するのはバカバカしい。話半分で聞いていた方が精神衛生上いい。